リラの僧院

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ブルガリア正教の総本山であり、ユネスコの世界文化遺産にも指定されている リラの僧院 を訪ねる

 

  
写真1

    

    
【導入部】
    

ブルガリアで最も知られている観光名所はどこだろうか? ほとんどの人はこう答えるだろう。
Рилски Манастир (リルスキ・マナスティル:リラの僧院) だよ。』

リラの僧院とは、どんな僧院なのか?
ブルガリアに住んでいる人なら、誰でも簡単にその姿を確認することができる。

RilMan-1levRMs.jpg (3098 バイト) これはブルガリアのお金、1レフ札の裏側の写真。1レフ札は最も
低額な紙幣なので、一般の人々には一番馴染みのあるお札だ。
ここに、リラの僧院の姿が描かれている。

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1レフ札裏面の拡大図 →

 

    
    

【出発〜到着】
    
12月29日。真冬のブルガリア。
ブルガリアに来て1年以上も経っていたが、この日、初めてリラの僧院に行くことにした。

この年末に、日本から遥々ぼくのいるブルガリアまで遊びに来てくれた人がいた。彼女が、ぜひ有名
なリラの僧院を見てみたいというので、自分にとってちょうど良い機会だった。今までたまたま機会が
なかっただけで、いつか一度は行ってみたいと思っていたので・・。

ブルガリア在住の日本人同僚らに聞くと、タクシーを1日借り切れば楽に行けるよ、とのこと。運転手
と交渉して100レヴァ近くを払えば、首都ソフィアからリラの僧院までタクシーで往復できると言って
いた。 100レヴァという金額は、日本でいうと5000円程度だろうか・・・・  しかし、その金額は、
この国の平均月給の半分近くに相当するほどの額。

ぼくは、なにか、そういう旅はしたくないなと思った。現地の人が利用する交通手段で行き、せっかく
日本から来た彼女にブルガリア人流の旅を見せ、体験させてあげたいなと思った。彼女もぼくの意見
に賛同してくれて、安価で一般的なバスで出掛けることになった。


    
リラの僧院行きのバスは、ソフィアの街の外れにあるオフチャ・クペルというバス駅から出ている。朝10時20分発という情報を得たので、それに間に合うように朝ホテルを出て、その町外れのバス駅に向かう。
  
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バスの窓から見えた樹
    
駅で切符を買い、バスに乗り込む。バスには空席がそれほど残っていなかった。夏の観光シーズンだったら、座る席がなかったかもしれない・・・・ 座れてよかったよ。

この日、天気はすがすがしく晴れた。そして真冬の、ソフィアからリラの僧院までの道のりは、幻想的に美しかったんだ。この道のりの風景だけでも、「あぁ、冬に来た甲斐があったね!」と感じた。

樹の枝に雪が積もって白く見えているのではなくて、凍てついた枝が太陽の光に反射してキラキラと輝いている。そういう風景が、バスの窓の外に延々と続いていた。

バスに2時間ほど揺られていると、リラ村というところに着く。そこで、僧院行きのバスに乗り換え、また1時間ほどバスに揺られることになる。

バスはよほど良いタイヤを履いているのか、それとも運転手がよほど腕に自信があるのか :-) 、
雪の積もっている山道をすごい勢いで駆けのぼっていく。お世辞でも「いいバスだね」とは言えない
ガタガタのバス。今にもスリップして大事故になるんじゃないかと、内心ヒヤヒヤさせられる。バスの
中には暖房など存在しなく、寒さに少し震えながら、外の風景を眺めていた。しばらくすると、なんの
前触れもなく、バスが止まった。
まわりの乗客に訊ねてみると、「リラの僧院に着きましたよ」と、にっこり答えてくれた。

 

    
    

【外観】
    
バルカン半島の最高峰を保有するリラ山脈。その山脈中腹のあたり、人里離れた山の奥地に、リラの僧院はある。もっとも近い村から20km以上も離れて、ひっそりと存在している。今でこそ、バスが走れる舗装道路でつながれているが、その昔には険しい山道に阻まれ、外界から隔絶された環境だったのだろうと想像できる。

「リラの僧院は国内最大規模の僧院」とのことだが、こんな山奥にこれだけ巨大な建築物があるのには驚かされる。

そして、高い外壁で囲まれたその姿からは、“僧院”というよりも“軍事要塞”か“刑務所”のような、閉鎖的なイメージを受ける。

 

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(上)外側からみる外壁の様子     

しかし、ひとたび外壁の門をくぐると、そのイメージは大きく変わる。
  

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 (左)外壁内側の様子
 (右)僧院内の聖母教会

僧院の内側は広々とした空間と降りそそぐ陽の光から、とても開放的で明るい印象を受ける。
そして、外壁の内側、中央の教会とあらゆるところに見られる独特な装飾模様に目を奪われ、
その美しく統一された色彩感に感動した。

外界を遮断するように、四方を取り囲んでいる4階建ての外壁には、僧たちが寝泊まりできる
房が無数に設けられている。そして、敷地の中央に位置しているのが、ブルガリア正教の印
である丸い屋根をした本堂の
Църква "Света Богородица " (聖母マリア教会)。

 

    
    
【まじめな歴史その1】
    
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先ほどの1レフ札の反対側、表面にはひとりの人物が描かれている。
この人物はブルガリアでもっとも名高い聖職者、
Иван Рилски (イヴァン・リルスキ)である。
  
聖職者イヴァン・リルスキは、リラの僧院の創設者。
彼がこの山奥に小さな寺院を建て隠遁しはじめたことが、僧院の発端だそうだ。いまからおよそ1100年も昔のことである。 やがて、彼を慕って全国各地から僧や信者たちが集い、小さな寺院は自然と大きな僧院へと規模を増していった。

 

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RilMan-1levIR.jpg (11266 バイト) ← 1レフ札表面拡大図

 

 

イヴァン・リルスキはイコンに描かれ、
人々に聖人として崇められている →

 

    
    
【まじめな歴史その2】
    
リラの僧院が現在の姿になったのは、1300年代のことだそうだ。
当時、第二次ブルガリア帝国の保護・支援を受けた僧院は、宗教的な面としてはもちろんのこと、
建築文化としても、芸術文化としても、盛況を極めた。
現在、当時の面影を残しているのは、聖母マリア教会の隣にそびえ立つ四角い塔、Хрельова Кула (フレリョの塔)だけだ。

今から170年ほど前に起きた大火事で、僧院の大部分は燃えて、失われてしまったそうだ。その時に、この塔だけが火災を免れ、現在も姿を変えずに立っている。
  

 

 

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← 14世紀の建造物、
   フレリョの塔

写真2


14世紀の末、僧院の最盛期は終焉をむかえる。
ブルガリアはオスマン・トルコに征服され、第二次ブルガリア帝国が滅びてしまうからだ。

しかし、このオスマン・トルコの支配時代における、リラの僧院の立場がなかなか興味深い。
地域によってはブルガリア語書物に関する禁制・イスラム教への改宗などを強要したオスマン・
トルコ政権だったが、リラの僧院は特別な扱いとされた。 僧院内では、キリスト教信仰が許可
され、ブルガリア語書物の読み書きも自由に行えた。

このため、500年間にもわたる他国家・他宗教の支配にさらされたにも関わらず、ブルガリア
正教の文化は途絶えなかった。リラの僧院は、貴重な文化を後世に残す役目を果たした。

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写真3

← 壁や天井の様子

天井のフレスコ画 →

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聖母マリア教会の壁と天井一面に、色鮮やかに描かれている宗教画。

もちろん、この教会は火災後に再建されたものではあるが、1800年代
に描かれた貴重な宗教画として、ブルガリア正教の宗教的・芸術的な
文化を今に伝えている。

 

    
    
【帰り : ソフィアまでの道】
    
僧がフレリョの塔で打ち鳴らす鐘が、静まりかえった雰囲気の中に響き渡る。真冬だからか、
一大観光地のはずなのにほとんど他の観光客は見られなく、僧院内を落ち着いて見物できて
よかった。帰りのバスがあるという夕方の5時まで、教会の内部から外壁の最上階まで僧院
内をあちこち歩き回り、僧院の裏手にあるレストランでのんびり食事も楽しみ、リラの僧院観光
を充分に堪能できた。
  

帰りのバスは、恐ろしく寒かった。
バスに乗って1時間もすると日が暮れ、あたりは真っ暗になってしまった。そして、バスの中は
冷蔵庫のように冷え切ってきて、ぼくらはガクガクと震えながら、ひたすら我慢しなければなら
なかった。

てっきり、行きのバスと同じように、どこか途中の町でソフィア行きのバスに乗り換えるのだと思い込んでいたのだが、ドゥプニッツァという町にバスが着くと、そこでおしまいだった。そこがバスの終点で、今夜はもうソフィア行きのバスはないという。真冬の夜7時半、暗くて寒い中、聞いたこともない町に放り出されて、困ってしまった。

何人かの人に訪ねてみると、ドゥプニッツァの鉄道駅ならもしかしたらソフィア行きの列車がまだあるかもしれない、と言われた。

鉄道駅までは歩いてゆくには少し遠いというので、タクシーを探した。が、まったく見付からない。仕方なく、鉄道駅に向かって歩いていく。途中、人に何度も道を訊ねながら、凍っている道で滑って転んだりしながら、15分くらい歩くとようやく駅が見えた。切符売り場で聞くと、ちょうど今ソフィア行きが来るという。  なんて、グッドタイミング!!
切符を購入し、そのまま乗り込んだ。

ソフィア行きの列車は8人がけの個室になっていて、その列車はがらがらに空いていた。ぼくら2人で占領した個室は、ポカポカに暖房が利いていて、さっきまで凍えそうになっていたために、まるで天国のような心地よさを感じた ・・・・初めのうちは。

RilMan_map.gif (20983 バイト) 地図1

暖房は調節がまったくできず、すごい勢いで部屋を暖め続けてくれる。そして、個室の窓とドア
は開けても自動的に閉まってしまう優れもの。乗って30分後くらいには、もう暑くて暑くてたまら
なかった。窓に物をはさみこんで、風を入れるのだけれど、途中から小雨がパラついてきて、雨
が入ってくるし・・・・
10時半頃だったかな、汗をかきながら、無事ソフィアに到着できました。よかったよかった。


ブルガリア最大の観光名所と言われている「リラの僧院」を見られたことはもちろん、それ以外
にも冷蔵庫並みに寒い路線バスと、サウナ並みに暑い列車という日本にはおそらく存在しない
交通機関も体験でき、彼女も大いに満足したに違いない! という旅でした。

<おしまい>

 

    
    
【教訓と註釈と注意】
    
・ブルガリアの冬季旅行では、日の高いうちに移動しましょう。暗くなると寒さに凍えます。
・※印の写真1,2,3および地図1は、「け。」さんの撮影・制作によるものです。
・行き帰りのバスがいつも上述した時刻にあるのかどうかは、わかりません。
    
    

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[2002.3.24 作成]
[2002.3.25 レイアウト修正]

 

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